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怪我で人生が一変!のちに詩人・画家としての人生を見出した星野富弘氏

詩人・画家として活躍している星野富弘さんは、突然の事故で首から下が動かない状態に陥りました。手足の自由を失ってからは、口に筆をくわえて絵を描いたり文章を綴ったりしています。しかし、星野氏の作品を見たことのある人は、不自由な体で描いたものとはとても思わないでしょう。今回は、星野氏がどのようなことを経て詩人・画家という道を切り開いたのか紹介していきます。

1.星野富弘氏はどんな絵や詩を書く人?

星野氏の作品は、植物の絵に短い詩を添える「詩画」です。描くのは山野に咲く野草や庭で楽しめるような草花などが多く、誰もが一度はどこかで目にしたことがあるような、親しみやすい身近な植物を中心にしています。色に強弱をつけることで植物の表情を描き、繊細ながらも生命の力強さが感じられる星野氏の絵は、自然の中で育つ草花の美しさそのものといったところでしょう。星野氏が生み出す独特の表現力は多くの人に感動を与えています。

2.24歳で負った大怪我で首から下が動かなくなる

星野氏は、1946年に群馬県勢多郡東村(現在のみどり市東町)に生まれました。そもそも、星野氏は子どもの頃から絵が好きだったというわけではありません。どちらかといえば活発で、器械体操が大好きな少年でした。そのため、大学を卒業した後は中学校の体育教師として働きはじめ、クラブ活動の指導にも力を入れていました。好きな道へ進み、順調に見えた星野氏の生活が一変したのは、体育教師になってまだ間もない頃です。
いつものようにクラブ活動の指導にあたっていた星野氏は、マットの上で宙返りをしました。ところが、着地に失敗して頭から落下してしまったのです。器械体操では、着地に失敗することなど珍しくはありません。しかし、自分で起き上がることもできないばかりか体がまったく動かせず、そのまま病院へ運ばれます。星野氏は頸髄を損傷してしまいました。その後何度も大きな手術を受けましたが、それでも状況は改善せず、高熱が続き、呼吸すら自力でできませんでした。首から下が動かせないまま人工呼吸器をつけて2年ほど経った頃、どうにか自力で呼吸ができるようにはなりました。それでも、手足が動かせない状態はその後も続くことになります。

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3.詩人・画家としての歩みのはじまり

突然のケガによって首から下の自由を奪われ、星野氏は深い絶望感に襲われます。では、そこから詩人・画家としてどのように歩んできたのか紹介していきます。

3-1.手足の自由を失った状況のなかで文字を書く喜びを知る!

ある日を境に突然手足の自由を失ったまま、星野氏の入院生活は続きました。自力での呼吸ができるようになったものの、手足は一向に動きません。食事も排泄も自力でできない状態になり、先の見えない日々が過ぎていきます。何をするにも誰かの手を借りるのが日常です。毎日なすすべもなく、ただ寝て過ごすという入院生活は、実に9年間にも及びました。
そんなある日、「文字が書きたい」と思った星野氏は、口にペンをくわえて文字を書くことに挑戦します。はじめはなかなか大変でしたが、苦戦しながらも文字が書けたことは星野氏に大きな喜びと希望を与えました。そして、器械体操をゼロから覚えたように、手を使わずに文字を書くことも少しずつ上手になっていこうと心に決めます。それまでの星野氏は、手足が動かせなくなったことで「もう自分には何もできない」と絶望していました。しかし、わずか1文字や1本の線が書けただけでも大きな喜びとなり、新たな楽しみを見出したのです。

3-2.聖書と出会ってキリスト教の洗礼を受け花の絵を描き始める

星野氏が絵を描くようになったのは、ある人物がきっかけになりました。それは、お見舞いに来てくれた大学時代の後輩でした。その後輩は牧師になっており、星野氏に聖書を手渡します。その聖書にあった野の花に触れた一節から、星野氏は自分の周りにある花々に関心を寄せるようになったのです。病室には、いつも様々な人からお見舞いとしてもらった花が飾られていました。病室の窓からも、庭に植えられた花々が見えます。
いつもは何気なく目にしていた病室の花は、星野氏の母が丁寧に生けてくれたものでした。その思いへの感謝もあり、自分の身の周りに咲く花々に対して特別な感情を抱くようになります。そして、聖書にあった言葉を思い出しながら花も描くようになりました。次第に作品は少しずつ変化し、花の絵に短い詩を書き添えるようになっていったのです。こうして、少しずつ星野氏の作風ができあがっていきました。

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4.星野氏の作品が国内外で感動を呼ぶ

はじめは病室で創作されていた星野氏の作品は、次第に知られるようになっていきます。ここでは、国内外で感動を呼んだきっかけや経緯について紹介していきます。

4-1.入院中に前橋で詩画展が開かれて多くの人に感動を与えた

身近にある草花を描き、そこへ短い詩を添えるという作品を作り続けた星野富弘氏は、1979年に初めての詩画展を開きます。それは、まだ入院中のことでした。開催場所は群馬県の前橋市です。星野さんによって新しい生命を与えられた草花の絵は、その詩とともに多くの人に感動を与えたのはいうまでもありません。ほとんどの人が作品の前にしばらく立ち止まり、熱心に見入ります。それはまるで、創作した当時の星野氏の気持ちを作品の中に見ているかのようでした。
そして、個展を開催した年の9月にようやく退院を果たしたのです。故郷に戻ってからはさらに創作に力を入れる日々が続きます。1980年代に入ると、詩画を雑誌に連載するようになりました。さらに詩画集の出版の話も順調に進み、新たな希望や目標を見出しました。プライベートでは現在の夫人と結婚し、一度は絶望した人生が一転して明るく輝いた日々が始まったのです。

4-2.『花の詩画集』や自伝の出版・海外での展示会など活躍は続く

詩画展の開催は日本だけにとどまってはいませんでした。海外でも、1991年のブラジルを皮切りに、ニューヨークやハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコなどで展示会が開かれ、世界各地に広まっています。さらに、星野氏の自伝ともいえる「花の詩画集」も出版され、大きな反響を呼んでいます。「花の詩画集」の中でもベストセラーとなり、注目されたのが『鈴の鳴る道』です。『鈴の鳴る道』は英語版も出版されていますが、テキスト調に編集され、星野氏の絵を楽しみながら英語も学べるという内容になっています。

5.星野富弘氏の作品を常設展示する美術館は全国に2カ所!

星野氏の作品が常設展示されている美術館は、2021年現在で2カ所あります。ここでは、その美術館について紹介していきます。

5-1.星野氏の故郷に1991年「富弘美術館」が開館

1991年に、星野氏の故郷である現在のみどり市に「富弘美術館」が開館しました。「富弘美術館」には、星野氏の作品展示の他にビデオルームや図書コーナー、さらにカフェなどもあり、それぞれの場所で自由にゆっくり過ごすことができます。小さな庭では、星野氏の作品に登場しそうな山野の草花も楽しめます。「富弘美術館」は、東村のふるさと創生事業によって誕生しました。
「富弘美術館」を囲むように山々が並び、まるで周囲の自然も星野氏の作品のような感覚の美術館です。深い緑には、四季を彩る野生の草花やシャクナゲが咲き乱れ、いるだけで優しい前向きな気持ちになれるでしょう。「富弘美術館」の開館時間は9時〜17時ですが、入館は16時30分までとなっています。4月〜11月末日までは基本的に無休となっていますが、そのときの状況によって変わるため、あらかじめ確認をしましょう。

5-2.熊本県の芦北町に姉妹館として「星野富弘美術館」が開館

2006年に熊本県葦北郡芦北町に開館したのが「星野富弘美術館」です。こちらは、群馬県みどり市にある「富弘美術館」の姉妹館として誕生しました。「星野富弘美術館」にも、展示室の他にビデオコーナー、ショップなどがあります。さらに、手ごろな価格で食事ができる食堂が併設されていますから、作品を見た後に食事をとりながら休憩するのもいいでしょう。
「星野富弘美術館」では、身障者用駐車スペースや多目的トイレが設置されており、体が不自由な人への配慮も十分されています。誰もが星野氏の作品を通していつでも優しさに出会える「いやしの空間」を目指した美術館です。開館時間は9時~17時で、毎月第2第4月曜日は休館日となっています。他にも、年末年始の12月29日から翌年の1月3日は毎年休館です。

6.あるがままを受け止める創作の姿勢と生き方

星野氏は、まだ入院中だった28歳のときにキリスト教の洗礼を受けています。以来、信仰は星野氏の大切な支えとなってきました。そして、もう1つ大きな出会いとなったのが夫人です。信仰に導かれたとき、星野氏は「一筋の光が見えた気がした」といいます。首から下が動かなくなったときは何をしたらいいかわからず、星野氏は方向性も見えないままフラフラしていました。しかし、信仰との出会いで「体が動かなくてもいい。あるがままを受け止めて乗り越えていこう。」という前向きな気持ちになれたのです。そして、その瞬間「私が私になった」と感じたと話しています。
新しい自分を受け入れて創作活動に励んだ星野氏ですが、一時的に創作意欲が失せてしまうできごとが起こります。それが、東日本大震災です。星野氏が暮らす地域も震度6弱という強い揺れに襲われました。そのときに見て衝撃を受けたのが大津波の映像です。多くのものを破壊し、それまで当たり前にあった人々の暮らしが失われる様子を見たとき、自分の作品がひどくちっぽけなものに感じたといいます。しかし、一度は創作意欲を失った星野氏が再び「作品を作りたい」と感じたきっかけも震災でした。
ある日、テレビに映し出されたがれきの山に力強く咲き誇る花を見たのは、東日本大震災から1カ月ほど経ったときでした。自然は、ときにはすべてを奪ってしまうほどの恐ろしさも持っています。しかし、人を助けてくれる側面も持っています。星野氏は、がれきの中でたくましく咲く花に勇気づけられ、「これからも身近な花を描いていこう」と新たな希望を見出したのです。

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星野富弘氏の生き方に学ぼう

星野氏は絶望から立ち上がり、自ら進むべき方向性を見出した人です。作品を通して多くの人に感動を与えた星野氏の生き方や考え方は、たくさんのことを気づかせてくれるでしょう。苦しい状況に立たされると、ついつい諦めてしまう人もいるかもしれません。しかし、どんな状況に陥っても、不屈の精神を持って人生を諦めることなく、新しい希望を胸に好きなことを見つけて、それを大切に続けていきましょう。

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