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群馬県から宇宙へ!アジア人女性初の宇宙飛行士になった向井千秋氏

宇宙飛行士は人気の職業ランキングの上位にも挙がる注目の職業ですが、宇宙飛行士になるためには身体要件のほか学歴や実務経験なども問われ厳しい選抜試験にも合格しなければなりません。さらに、宇宙に行くまでには厳しい訓練もあり、実際に宇宙に行った女性は男性と比べて非常に少数です。この記事では、そのような難関を突破しアジア人女性として初めての宇宙飛行士となった群馬県館林市出身の向井千秋氏について紹介します。

1.医者から宇宙飛行士に転身!輝かしいそのキャリア

向井氏の経歴は宇宙飛行士だけではありません。もともと子どもの頃に憧れていた職業は、宇宙飛行士ではなく、医師でした。そのため、高校時代は医師になることを目指して勉強に努め、慶応義塾大学医学部に入学し、卒業後、宇宙飛行士になるまでは医師として働いていました。宇宙飛行士だけではなく医師としても活躍した向井氏の輝かしい経歴について詳しく紹介します。

2.群馬県館林市で生まれ医者を志した少女時代

向井氏は群馬県館林市の出身です。1952年に、中学校で理数科の教師をしていた父親と鞄店を営んでいた母親の間に4人兄弟の長女として生まれました。子どもの頃は母親が店を営んでいたこともあり、いつも店員や近隣住民などの人が集まるなかで過ごし、どんな遊びも楽しんでいたそうです。また、運動が好きで活発に走り回っているような子どもでもありました。中学生になってからは球技、大学時代にはスキーなどに熱中するほどだったといいます。
そのような向井氏が将来なりたいものとして思いを募らせたのが医師でした。医師になりたいと考え始めたのは、まだ小学生であった10歳の頃です。足の悪い弟がいたこともあり、病気で苦しんでいる人を助けたいという思いから医師を目指すようになります。両親は教育費にはお金を惜しまない人であったため、小学生の頃は学習教材を多く購入してもらい、その教材を使って金魚の蘇生など医師の真似事をしたこともありました。さらに、中学生になると、自宅からの通学圏に医学部への進学率が高い学校がなかったことから、都内の中学校に転校までしています。その後も、医師になりたいという夢は変わらず、高校性になってからは医学部を目指して本格的に受験勉強に取り組み、努力の甲斐あって大学は医学部へと進学しました。

3.まずは医師としてキャリアをスタート!

向井氏が最初のキャリアとしてスタートさせたのは、小学生のときから抱いてきた夢でもある医師でした。ここでは、夢を叶えて医師として働き始めてから宇宙飛行士を目指すことになるまでの向井氏の経歴などについて紹介します。

3-1.慶応義塾大学医学部に進学して心臓血管外科医となる

慶応義塾大学医学部に入学した向井氏は、その後も大学で学業に励み、1977年には無事卒業し医師免許を取得しました。さらに、同大学医学部の外科学教室医局員として診療にあたり、1988年には博士号も取得しています。医師として診療を行うにあたり専門としたのは、人命救助に直結した仕事ができる心臓外科でした。これまで同大学の女子学生で心臓外科医となった人はおらず、学内初の女性心臓外科医となりました。救急外科で働いていたときには急患などに追われる忙しい日々もありましたが、学生時代のスポーツなどで培った体力と気力で乗り切りながら医師という職業に従事し続けたそうです。

3-2.当直明けに読んだ新聞記事がきっかけで宇宙飛行士を目指す

医師だった向井氏が実際に宇宙飛行士を目指そうと考えたきっかけは、1つの新聞記事でした。1983年12月のある日、外科医として勤務していた病院で当直明けに読んだ新聞に宇宙飛行士募集の記事が掲載されていたました。当時、宇宙開発に日本人が関わるイメージを持っていなかったため、日本で宇宙飛行士を募集していることに驚き、その記事に目を奪われました。新聞には、日本が行う宇宙開発は、アメリカやロシアなどと異なり科学技術や教育を発展させることを目的としていて、そのために技術者や教育関係者、研究者などを募っていることが記載されていました。宇宙へ行くことは医師の経験を活かせるだけではなく、未知の経験もできて一人の人間として視野を広げられる可能性もあります。このようなことがきっかけとなり、向井氏は宇宙飛行士への転身を考えるようになりました。

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4.宇宙飛行士になる夢を実現する

宇宙飛行士になりたいと考えた向井氏は実際にどのようにして夢を実現したのでしょうか。ここでは宇宙飛行士になるまでの過程を紹介します。

4-1.搭乗科学技術者として選ばれて宇宙飛行士としての道を歩み出す

新聞の記事を読んでから間もなく向井氏は早速行動を起こします。当時から宇宙飛行士の選考は非常に難関だったため、落ちることは覚悟のうえで応募書類を送りました。しかし、応募者のおよそ1割の通過者のなかに選ばれ、その後の筆記試験と心理検査にも合格します。さらに、医学検査も通過し、最終的に残った7人のうちの1人となりました。そして、1年8カ月にも及んで行われた選考のすべてを通ったことで、1985年8月10日にNASDA(現JAXA)において、PS(PSとはペイロードスペシャリストの略で搭乗科学技術者を意味します。)として選ばれたのです。
ところが、夢の実現が目前に迫ったとき、夢をあきらめ医師に戻ることも考えさせられた大きな出来事が起こりました。1986年1月28日に起きたアメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故です。スペースシャトルが打ち上げ早々に空中で爆発分解を起こし、乗務員7人全員が亡くなりました。打ち上げが失敗に終わり、飛行計画が中断されたことで先行きが見えなくなり、向井氏は医師の仕事に戻るべきかで頭を悩ませます。しかし、一度決めたことであることから、打ち上げが再開されるまで留学して研究に従事し、あきらめずに宇宙行きを目指す道を選びました。1987年からNASAジョンソン宇宙センターの宇宙生物医学研究室に留学しました。

4-2.ついに宇宙飛行士としてスペースシャトルに2度搭乗

事故から10年以上が経過した1992年に第1次材料実験と呼ばれる宇宙実験を行う飛行が行われますが、その際の向井氏の役割は、地上から管制業務を遂行する飛行交代要員でした。しかし、1994年7月の飛行では、ついにPSとしてスペースシャトル「コロンビア号」に搭乗します。PSの役割は飛行の際に専門知識を生かして実験を行うことです。向井氏は重力が非常に小さい宇宙環境のもとで宇宙医学などに関する82のテーマについて実験を行いました。
さらに、1998年4月に再度飛行交代要員として地上からの管制業務を経た後、同年10月に2度目となるPSとしての搭乗を果たします。このときも、1度目の搭乗時と同じように宇宙医学などに関する実験を行いました。

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5.その後も国内外で宇宙医学研究に関する研究に従事

PSとして2度の搭乗経験を持った向井氏は、その後、シャトルでの実験に関わる地上での仕事や宇宙科学の研究者として活躍し、2004年9月から2007年9月は医師としての経験も生かしながら国際宇宙大学( ISU)で客員教授を務めました。実は、当時3度目の搭乗も目指す気持ちもありましたが、2003年2月に起こったコロンビア号の空中分解事故がきっかけで先のことを迷っていた際、大学から声がかかったため教壇に立つことを決めたといいます。
大学での任務を終えた後も宇宙での経験を活かせる仕事に就き続け、2012年7月からはJAXA宇宙医学研究センター長に就任、2015年4月からは東京理科大学の副学長として活躍するなどして現在に至っています。

6.宇宙飛行士になってみてわかったこと

そんな向井氏ですが、実際に宇宙飛行士になってみて気づいたこともあるといいます。ここでは、様々なインタビューで語っている「宇宙飛行士になってみてわかったこと」について紹介します。

6-1.地上では重力を前提として生活していることをあらためて実感

重力のない宇宙は地球とはまったく異なる環境を持った場所です。向井氏は、実際に地球を離れて未知の環境を体感することで地球との違いを実感し、発想が変わったことをインタビューで語っています。違う世界であることを実感したできごととは、自分よりも小さくて軽いネジを回す際に重力があればネジが回りますが、重力のない世界ではネジではなく自分が回るといった体験です。このような実感は体験して初めて感じられるものです。しかし、引力を初めて発見したイギリスのニュートンや新しい理論を次々と生み出したドイツのアインシュタインは宇宙に実際に行った経験がないにもかかわらず重力の眼鏡を外して物事を見て考えられた人たちであり、その偉大さにも気づいたそうです。
先入観を持って特定の考え方に縛られていることは自由な発想を生みにくく、世界を狭めてしまうものです。向井氏は自分の様々な経験を通して、若い人に先入観をなくす大事さを呼び掛けています。

6-2.「仕事場は宇宙」というモットーに行きつく

地球と宇宙は全く別の環境を持った存在ですが、地球は広い宇宙に浮かぶ惑星の1つであり、広い意味で考えると地球も宇宙です。宇宙と地球は別のものであると切り離して考えると、宇宙がよそごとのように感じられるでしょう。しかし、自身も宇宙のなかにいるという考えのもとで自分の居場所を大きい視野で捉えると、日常の様々な悩みや行き詰まりにも自然と解決の道が開けてくると向井氏は話しています。宇宙飛行士は国籍だけではなく、専門とする分野や考え方が異なる様々な人と一緒に仕事をする職業です。そのため、向井氏自身も自分の所属場所を大きく捉えるなかで様々なミッションを遂行していた経験を持っています。

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7.群馬県から世界そして宇宙へと羽ばたいた向井千秋氏

向井氏は子どもの頃から将来の夢を見つけて具体的にどのような自分になりたいかを想像し、目標を明確に設定したうえでその実現に向けて努力を積み上げてきました。群馬県で生まれ育ち医師という最初の夢を見つけ、夢を実現させるために中学生から単身で上京するなど、早くから行動も起こしています。『島津製作所 広報誌 ぶーめらん』のインタビューでも「好きなことを見つけるのが自己実現の第一歩」と語っているとおり、夢を実現させるためにはまずはなりたいものを見つけることが大切です。若い人はぜひ、早いうちから自分が興味を持てるもの、好きなものを見つけて、そこに向かって努力をしてみてください。

好きなことを見つけて準備をしていこう

将来どのような生き方が適しているかは人によって異なります。なりたい自分になるためにも自分らしく生きるためにも、向井氏のように若いうちから自分が好きなことをしっかりと見つけて、それに向かい準備を進めていきましょう。群馬県出身者には向井氏のほかにも、日本や世界で活躍する人が数多くいます。いま群馬に暮らしている中高生も、彼らのように目標を持って、ぜひ夢の実現のためにチャレンジしてください。

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